共感的理解について


まえ
同じ人間なら理解し合えると思ってたし
相手も自分に共感できると思ってた
幸福な環境で育ってきて
みんなが推し量ってくれるものだから
誰にでも他人の気持ちや考えを理解することはできると思っていて
本質的には無理だということを意識したことがなかった

だから親しい仲になった人に
気持ちを分かってもらえないとイライラすることが多くなって
それが積み重なって嫌いになっていった
自分のことを理解してくれるものだと思い込んでいたからだ
自分も相手のことが分かると思い込んでいた

結局、自分勝手だったのだ
ひとりよがりに、自分は分かっているし、分かってもらえると勘違いしていた
内と外の区別がついてなかった

少なくとも、病気がない健康な人よりはカウンセラーに向いてると思ってたけど
心理学、ボランティア、友だちの話、ネットの体験談にふれる中で
自分には到底理解できない苦しみを抱えた人がたくさんいるのだと分かった

苦しみだけではない
その人の存在すべてについてそうなのだ
同じ体験をしてきた人間はひとりもいないから
誰にも本当の自分を分かってもらうことはできない
すべてを伝えることもできない
自分ですらわかっていない部分もたくさんある
大学に入ってやっと意識できるようになった
相手が何を感じて何を考えているかなんて本当には分からないのだ

理解することはできない
だからこそ話すのだ、という先生の発言はすごく印象的だった