マンガの読み方と拒食症

鬱マンガのまとめでおばあちゃんの弁当を捨てる女子高生のマンガを読んだ

吐き気ENDにもやもやして
皆どういう感想もつのかと思いコメントもみたら
自分より人の心の繊細さに理解の無いコメントがあってビビった
そらハタから見たらただの自己中ですわ
「悲劇のヒロインぶってる」とレッテルを貼ったり、クズだとか意味わからんとか書いてあった

いやいや
そこで思考停止してどうすんねん!
そんなの自分でも100も承知なんだろうよ

承知の上で、そうせざるをえない状況にいる、絶妙な気持ちの動きを読ませたいマンガだろこれ
そこを知るためのマンガなのにお前は一体なにを読んだのかと問いたい

mnmも言ってた面接官みたいに
普通に暮らしてる人には
繊細さをもった他人がどんな気持ちで過ごしてるかなんか分かんないんだろうな
といいつつ
私も心理学やってるからこういうタイプの人なのかなと思って見てしまう
それも結局レッテルになるんだろうな
まあでも臨床的な経験的なパターンにのっとったレッテルだし個人の思いこみよりはマシなんじゃないかと思ってもみる
でも新鮮な、生きてるそのキャラクターそのものを見ていないことにもなるのかなあ…。

出てきた女子高生のキャラクターについて
ある人のコメントですごい納得した
なるほどお
他人への拒絶が強迫症として現れた病気!

あの漫画の描写では
食卓で喧嘩ばかりする両親と、放って置かれて笑っている女子高生
食卓はたぶん手料理じゃない
無理に期待に応えようとする気持ち
それに対する葛藤(帰りたくないとか期待に応えなきゃという義務感、吐き気)が描かれていた
パックの食品に安心するが
最後にはおばあちゃんがパックの食品を買っておいたことでそれも食べられなくなってしまう(?)

f先生が拒食症になる子は健気な子が多いとか言ってた
フロイトねずみ男の話を思い返せば
強い愛情を示している裏には強い憎悪もあるもので
抑圧された部分が症状として出てくるという
この女子高生も
人との触れ合いが怖くて(とくに母的なもの)、でも猛烈に欲しいものなのだろう
クズな母親の期待に応えるために辛い時でも笑ってきた
でもそれは苦しい
そんな苦しみを与える母に本当は憎悪している
でも抑圧せざるをえない
だから誰かが作ってくれた手料理(母的なもの)を拒み
その人への憎悪、拒絶を表しているのではないか?

食べることは同一化することでもある

最後にパックの食べものもダメになったのは
弁当のことがばれて期待に応えることができなくなってしまったのと
おばあちゃんが買ってくれたおかげで
パックの食品=母的な愛に繋がってしまったからではないか
難しいな
もっと拒食症の文献読む必要あるね


最近は鈍感さというのは一種の強さだと思うようになった
ネガティブなもの、強すぎるものをうまく処理するための方略として生きる上で身につけた能力なんじゃないか
繊細すぎる人というのは生きていくのに辛すぎる
情報をすべて生のまま処理しようとしてしまう
それではアクが強すぎる
楽しく幸せに生きる上では適度になにか忘れたり無視したり歪曲したりすることも必要だ
かといって鈍感になると繊細な人の気持ちにも気づけなくなる
そこは弱みだし気をつけるべきだ
この鈍感さと繊細さの適度なバランスを見つけるのがもっと良い強さであろう