かわいい男に対する偏見
威嚇は本気じゃない
授業で
ライオンとかが威嚇するときは本気で闘う気がないときだと言っていた
どっちかが死ぬとか、追い払いたいときにガオー!と言う
確かに…
本当に獲物を狙うのなら、息をひそめてひっそり近づいてバッと襲い掛かる
それをきいてなんだかアカギのことを思い出したのだった
彼は威嚇なんかしないで虎視眈々としている
それはいつも本気だからなんだな~と思った
まあ背後から襲うとかいうよりわりと正面から戦ってる気がするけど
相手の心理を読み切った上で裏をかいてきたりするのは背後から襲いかかってるともいえるしな
やはりカッコイイぜ
して、しょっちゅう威嚇ばかりしているゼノちゃんや牙崎はぜんぜん戦う気がないってことだ
ゼノは仮想的有能感だからつっぱって威嚇してるのもわかるけど
れんれんは…なんだろう…追い払いたいってより認めてもらいたいんだと思うんだよな
威嚇っていうか求愛なのでは????あれ????かわいすぎか???????
信頼関係と本音
反抗期がなかった人のなにが嫌かって根本的に他人を信用してないとこなんだよな
だから自分も受け入れられてないし
表面上ですまそうとするからお互いにモヤモヤが溜まる
反抗期というのは
こんなに反抗しても受け入れてくれる誰かがいる、受け入れられる価値があるんだってことと、自分は主張してもいいんだっていう自己肯定感を身につけるのと
ここまで反抗しちゃマズいんだなっていう対人関係のバランス感覚を養う時期だと思うのだ
それができてないってことは
自己主張ができないし、反抗した際の相手の反応に対する信頼感もない
ともすれば相手の自己主張も許されないものだと思っているかもしれない
「へへ、すいませぇん」でことを収めようとするということは
相手の理解能力を信頼していないし
自己主張もあきらめている
ということであろう
私的感情の統制が必要なフォーマルな付き合いであれば、それは必要なスキルだが
家族にまで全部その態度をとる必要があるのか?
ここに不信感があるんだろう
どうして本音をみせないんだ、信頼されていないのか、これにつきる
本音というのはどこまでさらけ出していいものか
家族にさえも隠し通すべきなのか?
これは1か0かの問題ではなく、TPOによるんだろうけど
怒られたときというのは双方にストレスがあるんだから
将来までみこして、アサーションして、同じことを繰り返さない妥協点をみつけるほうがいいと思うのだ
このフレーズいいな
オレ様に指図するな
「つかめない」と言われる件
かげろう?蜃気楼?みたいな
いる!と思って行ったら居なかったみたいな感じ、と言われた
わたしはみんなと同じように生活していると思っていた
人より冷めてる…というか人に対する興味が限定的で、かなり差別もするのは分かってるし(これは劣等感の防衛機制なのかも)
素をだしたら一匹狼とカンガルー(子)のミックスみたいになるので
社会的に浮くのは確実である
だからそこそこなじめるようにツマンナイ話にも参加したり愛想笑いしたりしてきたのに
なんでばれてるんだろう
もうこの考え方が図々しいのだが
本心だから仕方ない
オレ様気質なんだと思う
かなりナルシスト
人に弱みをみせるのが苦手である
弱みをみせられないことが弱みにならないように
そこそこ弱みを見せるのだが
マイナスにはならないようにコントロールしている
本心から信頼してないのかな
母には公立とかにいないタイプで
会ったことないタイプだから
つかめないって思われるんじゃないかと言われた
一理ある
でもこんなにきになるのはきっと
無意識的に相手につかませないようにしてしまうのかなっておもった
恋愛から逃げてきたのも関係がある気がする
いざとなると嫌になってしまう
人に依存してしまうのが怖いのかも
いや、依存されるのが嫌なのかな
自分を犠牲にしてまで面倒みたくない
親になりたくないんだ
テメーの世話はテメーでしろと思ってしまう
子どものままでいたいんだ
どうして?
そもそも自分勝手に生きたいというのが大きくはあるが
依存しあう関係ができたとして、崩れるのが怖いのかな
小さいときに、こんなに迷惑かけていたら殺されるかもしれないと思っていた
その恐怖感があるのかな?
果たしてそこまで考えているか?
相手の思い通りになるのが嫌い
思い通りになると思われるのも嫌い
わたしが全てをコントロールしたいという欲求が強いのかな
なんかただ単に
依存されたくない
束縛されたくない
勝手に評価されたくない
だからつかませないのかなって思った
なんだ、簡単な話だった
解決(ナルシズムを治せば)!
飽きるのは心が狭いから
わたしが人と仲良くなりすぎる(という書き方もおかしいが)と
飽きたり嫌いになったりするのは転移なのか、投影なのか?
自分の思い通りになることを期待してしまうのだと思うが、どうだろう
察してくれる友だちに囲まれてきたから
価値観が違うものだとあまり思えていないのかもしれない
察することを求めすぎる
これはまずいなあ…
でも飽きるのは特徴的だと思う
「またそれかよ」と思ってしまう
この不快感はなんなんだろう
飽きる、すなわち
またかよと思うのは、自分が不快に思うことが繰り返されるからだろう
ということは
やはり心が狭いのだ…
妥協ってもんができないのかね?
心広くなるにはどうしたらいいの?
転移にしろ投影にしろ
自分の嫌な面をみているとしても
そこは大人として受け入れられる心のゆとりが必要でしょうよ
は〜〜ワガママすぎてつらい
ゆとりのある大人になろ〜〜